le 28 février
リス
晴天。大風が吹く。
地方によっては嵐だそうだ。
終日体調が優れず、アルコールも飲めず。

ホシムクドリは8羽になった。

私の引っ越してくる以前からこの家にあった食器を
ようやくのこと処分した。
大皿6枚、スープ皿6枚、サラダボウル2点、ティーカップ、ティーポット、砂糖・ミルクポット等全部で50点以上からなるセットで、
彼のいずれかの結婚式の祝い品だったそうだから、
それなりの品質のものである。
ただ無個性で無難すぎる柄はなんだかお年寄り趣味、私は最後まで違和感しか感じなかった。
インターネットの地方マーケットに50ユーロで譲りますとしばらく広告をだしていたのだけれども反応なし。
もともと私は処分さえ出来れば良いと思っていたので10ユーロに値下げしてもらったのだけれどもやっぱり反応なし。
とにかく邪魔だから、今朝やっと「差し上げます」に変えてもらったら
一時間としないうちに二件問い合わせの電話が来た。

引き取りに来たのは若々しいカップルで「ママが写真を見てとっても気に入ったんです」という言葉に
やっぱりお年寄り向けよねと一人納得する。
お礼にと、復活祭の卵型チョコ一袋くれた。
ベアヒェンに見せると

「わーい、お皿をチョコレートと交換したの? お皿は食べられないもんね!」

と喜んだ。

食器はもうワンセットある。
こちらはタイ人の奥さんがある日店頭で見かけてどうしても欲しいと騒いだくせに
一度も使ったことがないというもの。
皿6枚、スープ皿6枚にサラダボウル、大皿がついて当時50マルク程度しかしなかったという安物で
なるほどタイ人はこういう花柄に惹かれるのかという
無駄に派手なばかりな凡庸な花柄が入っている。

「差し上げます」

と広告すると、これまたすぐに電話が掛かってきたのだが、
引き取りに来られない、送ってくれと言う。
変な男である。
連絡先を確認するために、電話でメールアドレスを教えてくれと言い、
教えるとその場で料理のレシピを送ってきた。
電話を切ると、すぐにまた鳴って、もう一枚画像を送ったから確認してくれと言う。
足の数がよくわからない象の騙し絵が送られてきた。
確認して電話を切ると、また鳴る。

「広告は早速引っ込めてくださいね」

と念を押すのだ。
なんだか胡散臭いから、送るにしても送料を入金してもらってからにしてちょうだいと、
すっかり調子に乗せられている彼に、釘を差す。





























































le 27 février
旧市庁舎前カフェ
朝、庭でシジュウカラが死んでいた。
何故マヒワでなくてシジュウカラ!? と驚き悲嘆し
マヒワよりもひとまわり大きな亡骸を拾いあげてみると
背の肉が毟られべっとり血糊がついている。
猫だ。
猛禽なら、こんないい加減な喰い方はしない…。
猫というのは実に残虐な生き物である。
いろいろな動物の目を見てきたけれども、あれは一番残虐な目をしている。
可愛いと思っていたヴィルマ君でさえ、
引っ越しをして、広い庭付きの家に住むようになって、ガラス越しにクロウタドリを発見したとき
「殺してやる…」という気炎が全身から奔出する姿に、ギョッとした。
ライオンは、これの延長の目をしていて、好きになれなかった。
殺すことを楽しむ暴君の目。
ワニも残虐な目をしているけれども、あれは原始的機械的な残虐である。
猛禽の目は恐ろしい運命に似て、涼しく悲しく透明である。
猫の残虐には、人間的な悦びがこもっているから
もしかしたら、一番人間に好まれるのかもしれない…。
残虐を隠蔽するために媚びることを知っているところも
人間と同じ。

シジュウカラを埋葬し、だんだんと私は
鳥のための墓掘り人になっていくよう。

空が美しいので、特に買い足さなければいけない食材はないのだけれども
彼と連れだって旧市街に至り、ふたたび旧市庁舎前カフェの一角に陣取る。

夜は予定通りヴォルフガングとエディットに餃子、鶏とキャベツのヴェトナム風サラダ、
ブロッコリーと帆立貝の中華風炒めをつくる。
映画好きの二人が、先日の Kirschblüten は見ていないと言う。
昨年長らくオーバートュルクハイムの映画館に掛かっていたのだけれども、
不治の病がテーマと聞いて、どうしても見に行く気になれなかったそうだ。
それはそうだろう。
映画というのはどこか、人生に不足のある人間のための疑似体験カラクリ的なところがあり、
実生活で同様の境遇にある者にとっては、暗室でのその追体験は、
煩わしいだけかもしれない。
ゴダールだっただろうか、戦争映画をうんと見せればそれで満足し、
人間は実際の戦争をしなくなるだろうというようなことを予言したそうだけれども、
残念ながら、それは当たらない。
映画を買いかぶりすぎている。
現実世界の広大さ、複雑怪奇さは、映画の比較ではない。
映画通に限って意外に人生経験に乏しく、ステレオタイプな空想世界に生きているところがあるのは、
映画化されたシンプルストーリーに満足出来てしまっているからかもしれない。
これは先のわたしの夫を念頭に置いて書いているのだが、
彼は年に数百という映画を飽きずに観賞することは出来ても、
「世界はどこに行っても結局のところ同じだから、そんなに旅をしたいとは思わない」と自慢していた。
それで女房に逃げられ、初めて現実世界の真の姿に接してオロオロする。
世界は、決してそんな簡単に悟り、タイクツと断罪できるほどシンプルではないのである。





























































le 26 février
ホシムクドリ
曇天。気温13度と、無闇に暖かい。
以前ヴォルフガングが、うちの比較的近所にアジア食品専門のスーパーマーケットのあることを教えてくれたのを思い出し、
明日彼らを招待するのに餃子をつくろうとしていたので、早速訪ねてみる。
改築の頃日参したホームセンターの真向かいという立地なのに、倉庫のような建物にスーパーマーケットとは思いもよらなかった。
中の広大なスペースには中華だけでない、
マレー・インドネシア、フィリピン、韓国、インド、ベトナム、タイ、そして勿論日本等の食材が充実している。
これなら遠いシュトゥットガルトの、感じの悪い中国人婆が構える中華食品店まで出掛ける必要はない。
それにここの中国人タイ人の従業員達は皆、若くハキハキして、とても感じが良い。
いかにもモテなさそうなデブのドイツ人爺客が、タイを観光した話を吹聴し、「サバディーカー」など口にしながら
さかんにその一人を口説こうとしている。
小耳に挟んだ家人が、ウズウズしているのがわかって、わたしは可笑しくて仕方ない。
餃子の皮だけを買うつもりだったのに、ワンタンの皮、和製醤油、冷凍肉まん、ガランガ、コリアンダー、タイ産ビール Chang 6本パックなど
次々カートに山積みしてしまった。
納豆の手に入ったのが嬉しい。
わたしは納豆に目がない。

*****

昨日、ホシムクドリが1羽から2羽に増えたので

「今日はきっと3羽くるね」

と冗談を言っていたら、5羽来た。
この辺で打ち止めになってくれないと困る…。

エスリンゲンの教会の塔には、ハヤブサも帰ってきて
きゅる、きゅるると甘えた声をあげていた。
この季節、時間は流れるだけでなく
膨れあがり、盛りあがり、なにものかに向かってぐいぐい身を捩るよう。





























































le 25 février
Kinrschblueten-Hanami
買い物に出ようとすると、家人が一緒に来るという。
用があるのと聞くと、あんまり光がきれいだからと答える。
それで、わたしの誕生日の日に連れていってもらった旧市役所前のカフェで、
また一緒にケーキを食べることにする。
窓から差し込む光のとてもきれいなカフェだったから。
クマ達もみな付いてきた。
わたしはラム酒のクリームトルテを、彼はりんごのトルテを注文した。
三つ目も注文して分け合えそうな気分だったけれども、さすがに思いとどまった。

夜 Arte で、2008年に公開されたドイツ映画 Doris Dörrie (ドリス・ドゥリエ)監督 Kirchblüten, Hanami
(フランスではCherry blossoms の題で公開)を見る。
題名の通り、桜の季節の東京が、ストーリーの主な舞台らしい。
友人達にこぞって熱く奨められてきたのだけれども、ドイツ人の写した東京と聞いて
むしろ身構える気持ちの方が大きかった。
むやみに伝統芸能やら桜やら美化したステレオタイプな西洋人の日本像を見せられる気がして。

しかしそんな心配は、まさに杞憂に終わる。
作品前半は、おそらく監督が意識して『東京物語』をドイツに置き換えたもの。
生涯住み慣れたバイエルンの田舎町を後にして、ドイツ人の老夫婦が
首都ベルリンに子供達を訪ねに行くのだ。
『東京物語』との違いは、この夫婦が医者に末期癌を告知されていること。
しかし連れ合いは、癌にかかっている本人にそれをどうしても知らせることが出来ず、
せめて最後に子供達に会いながら、めったにしたことのない二人旅をしたいと考えたのだ。
そんな親の気など知らず、仕事や子育てに追われている子供達は、彼らを厄介者扱いするばかり。
その雰囲気を感じ取った夫婦は

「忙しそうだから送ってくれなくても大丈夫」

などと言って、電車で帰ろうとするのだけれども、
大都会の真ん中で、乗車券ひとつ買うのにも券売機を前に戸惑ってしまうのだった。
身の置き場のないまま、夫婦は、逃げるようにバルト海沿岸の保養地に海を見に行く。
死はそこで彼らを襲った。
その時の残された方のセリフ

「こんなに急に逝ってしまうとわかっていれば、もっとやさしくするんだった…」

は、まさに『東京物語』最後の笠智衆のセリフそのままである。
なるほど、夫婦というものはいかに文化民族が異なろうと、
どこか皆似たような生き物で、ここまでそっくり置き換えられるものかと、ただただ感心した。

そして「これが最後」と悟った時に突然
今までは当たり前に流れていったひとつひとつの日常の所作、情景、言葉が
いかに愛おしい、手放し難い、唯一無二のものに思えてくるか、
バイエルンやバルト海沿岸の美しすぎる風景にそんな夫婦の気持ちがせつないくらい溶け合って
一時も涙の止まることがない。
一匹の蝿の姿さえ、生と死のドラマを物語る。
  … 車窓に張り付いて手を擦り足を擦る蝿の姿のクローズアップには、小林一茶の句が暗示されていたのではないかしら?
生にも死にも無頓着な子供らは、あっさりその蝿を打ち殺してしまうのだけれども。

しかしこの映画のメインテーマは「伴侶の死後を生きる」ことである。
つまり、東山千栄子に先立たれた笠智衆の「それから」を描いたストーリーのようなもの。
あの『東京物語』のラストシーンで、ポツネンと畳の上に残された男やもめの影、
見る者を言いようのない心細さで締めつけたあの頼りない影が立ち上がって、
失った者をふたたび見いだそうと、世界を彷徨いはじめるのである。
なんの自覚もないまま、空気のような伴侶の存在に互いにもたれつ、ひとつ生き物のように生きてきた夫婦の
突然片割れだけが独り世界に残されたとき、
その姿のなんと、赤子に似ていることか…。
その図体の大きな赤子が、どうしようもない喪失感を慰めるために
「東京への旅」を試みるのである。
死んで言った連れが、生涯日本に憧れていたことが今さら重大なことのように思い出され、
その地を訪ねれば、なにかを掴めるのではないか、
儚い望みを携えて。

しかしベルリンでさえ手足をもがれたようだった田舎の老人を待ち受けているのは
私達のイヤというほど知り尽くした東京の喧噪、雑踏、狂騒…。
ここまで「弔い」の気持ちと相容れない風景が、世界に他にあるだろうか?
そのコントラストの写し出し方は、強烈である。
東京とは、ベルリンで「忙しいのに!」と親を厄介者扱いした子供達の世界の
さらに化け物みたいに肥大化した社会…。

いったいこの狂騒の中身とは、なんなのか?
気がつけば、すべてが空虚で、表層的で、軽薄なまま
先へ先へと忙しく流れる。
「多忙」であることの、空虚。
それに比して、死というものの
死を悼む者のこころの
なんと肉感的なほどに充実し、意味深いこと…。

空虚な多忙だけを生きる現代人にとっては、
死でさえがもはやなんの意味も持たないことに気づかされる。
だから「どうしても外せない会議がある」と言って、
親の葬儀にさえ、子供達は参列しなかったのだ…。

この老夫婦を演じる ハンネロア・エルスナー (Hannelore Elsner) と エルマー・ヴェッパー (Elmar Wepper) が素晴らしく、
ドイツ映画界の底力を思い知る。
同じように愛する者の死を描いたフランス映画に、
例えば Claude Lelouch (クロード・ルルーシュ)監督 の Hasards ou coïncidences
(『幸運と必然』という仮題で横浜フランス映画祭で公開)があった。
あの中でも、愛する男性と子供とに同時に先立たれた女性は、
死者の憧れた地を世界中点々と旅していったけれども、
このドイツ映画のえぐるような悲しみ、迫り来る魂の鼓動とは、とても比較にならない…。
ラストの解決策も、とても納得出来るようなものではなかった。

狂気の都市東京は、ルルーシュの映画を点々と飾った世界の地名よりもさらに「解決」とは縁遠いように思われる。
しかし真摯な愛こそが求道となり、
求道こそが奇跡をもたらすのかもしれない…。
Hasards ou coïncidences 「偶然か、巡り合わせか」ではなく
Miracle ou évidence 「奇跡か、自明か」というのが、正しいのだろう。

「東京の地下鉄のなかには、はりねずみだって、座っているしね」

と私は、ある日突然半蔵門線のなかで彼と巡り会った情景を否応なく思い出して言う。
目の回るようなホームの雑踏をこんな風に映像化して突きつけられると
ますますあの瞬間の特異さが実感されるから。

映画の老人が出会うのは、ホームレスの少女 Yu(ゆう)。
東京の街で、未だに死の重み、魂の形を知っている者は
どうしたってマージナルな存在でしかありえないだろう。
この少女を演じた入月絢(いりづきあや)は、女優ではなく舞踏家だそう。
ドイツのベテラン俳優陣にまったく劣らない素晴らしい実在感に惚れ惚れした。

布団に入っても、神経が火照って一晩中眠れず。





























































le 24 février
ホシムクドリ
空が白みはじめるのを見て床を出ると
ちょうど七時だ。
真冬の頃にくらべて、鳥達はずいぶんと余裕が出来たから
ほんとうはさほど急ぐ必要はないのだけれども
彼らが起きていると思うと、姿が見たくてわたしも床にいられなくなる。

クロウタドリはそれでも六、七羽来る。
エナガも七羽の群と二羽のカップルと、あるらしい。
マヒワは相変わらず四羽の残留組で、一羽は体調が怪しい。
二羽連れ立ってきたゴジュウカラは夫婦かな。
ハシブトガラも夫婦連れ。

昼間ヴァイオリンを持って窓辺に座っていた家人が
「一大事!」
叫んだ時、ちょうどわたしも外を見ていた。
大食らいのホシムクドリが、南の国から戻ってきたのだ。
彼らはまるで、家人が大盛りのパフェを食べるのとそっくりに
ガツガツ遠慮なく、高価なエネルギークーヘンを頬張るから
その勢いにつきあっていたら、とてもお財布が追いつかないのだ。

午後、絵を描きながらひさしぶりにオペラ『チェネレントラ』を聞いて、愉快。

しかし、夜にはふたたび偏頭痛。





























































le 23 février
エナガ
曇天、気温12.5度。
マヒワは4、5羽を除いてすべて旅立って行ったようで
鈴なりの高い梢から賑やかに降ってきたさえずりは
ぴったりと聞こえなくなった。
空に、すこし空白が出来たよう…。
しかしシジュウカラ、アオガラ達が、清々した顔に見えるのが
可笑しい。
気のせいかな?
いや、気のせいではないと思う。
ゆるやかな群しかつくらない彼らは、大群で押し寄せる冬鳥たちにたじたじになっていたようだもの。
吊り餌にはエナガがたくさんやって来る。

3週間ぷりに温泉プールに行った。
屋外常温プールに入るのには相変わらず勇気がいる。
感覚的には冷水に思えてしまうのだが、これで25度あるそうだ。
不思議なことに、外気が氷点下であろうと10度を超えていようと
感じる冷たさには差がないことに気づく。
しばらく体調が冴えなかったせいか、むしろ気温の高い今日の方が
いつまたってもガタガタしているくらい。
しかしおニューのビキニを着ているので機嫌は頗る良い。
ボルネオ島で、初めて彼の念願のビーチリゾートに宿泊することにしたため
替えを一組買ってもらったものである。





























































le 22 février
枯れたチューリップ
J'irai, j'irai porter ma couronne effeuillée
Au jardin de mon père où revit toute fleur...
(Marceline Desbordes-Valmore)

「いつか、いつか私は行きましょう 萎れてしまった花冠を持って
花々すべて蘇る 父なる神の庭へ…」
(マルスリーヌ・デボルド=ヴァルモール)

私にはどういうわけか、枯れた花をいつまでも
捨てることができない。

昨年10月、マレーシア、ジェラントゥットで買ってきた干し魚を揚げて
夕食にナシ・ゴレンを作ったのだけれど、
食後激しい胃痛と頭痛とで起きていられず
フォーミグランを服用して九時に就寝。





























































le 21 février
水滴
マヒワ二羽の亡骸を埋めた。
一羽メスは予想したとおり、水鉢のあった敷石の上、
夜間の雪に羽毛が凍りつき、石に張り付いるので剥がすのに力を入れねばならず、
そんなことさえ、哀れに思われる。
そのうえ、ネコがもてあそんだのか、
はらはら羽毛が周囲に、散っていた。
もう一羽オスは、どうしてそこにたどりついたのか、
居間の大窓前石畳の上。
二体とも雪水を吸った、みすぼらしい死骸だった。
二羽をまとめてひとつ穴に葬るのは初めてだな…。

いつかわたしも、鳥達と同じ天国に、行けるのだろうか?

日中気温はぐんぐんあがって、今年はずいぶん長く残った雪も
とうとう消えた。
日が差して、一面水晶のように水滴が光る。
気温5度。





























































le 20 février
光
午前中は曇って、ときおり大きな雪片が舞い狂ったりして驚いた。
午後、うってかわってパァーッと見事な春の光がこぼれ落ちて来る。
彼と二人で、巣箱を掃除したり、新しく吊ったりした。
これで巣箱は五つ。
今まで吊ってきた物にはすべて居住者が出来たけれど、
今年はどうかしら?
新たに吊った巣箱をさっそくアオガラが覗き、それを追い払って
シジュウカラも覗きに来る。

そんな風に世界は賑やかな生命感に満ちあふれているのに
水鉢跡では、もう水はないのに、病んだマヒワが蹲っている。

夜更けてからふたたび雪片が舞う。
病気の子には、さぞ寒かろう。

もうすっかり姿を見せなくなったアトリの群を
絵に描いてみることにする。





























































le 19 février
コンラッドの家
雨。
nasskalt, 身も心も濡れそぼるように、薄ら寒い。
朝起きて庭に出ようとすると、水鉢の縁
マヒワが二羽、ぷくんと身をふくらませて蹲っている。
その横に、元気な子が飛んできては水を飲むので、
可哀想だけれども、水鉢を片づけることにする。
罹患したマヒワはどういうわけか水をよく欲しがり、
わたしは広島で被爆したひとびとの話をついつい思い出してしまう。
水鉢を片づけた跡に、わたしが家の中に引っ込むとたちまちまた
病気のマヒワが飛んできて必死に水を探す。
見ていられない。
原爆の被爆者には、水は悪いとわかっていても、どうせ助からないのだからと
思い切り飲ませてあげた人が多かったそうだけれども、
マヒワに関しては、今は健康な子の安全を優先しなければならない。
泣きたい。

夜、コンラッドの家に招待されていく。
ペーターとザビーネも一緒でとても楽しかったけれども、
コンタクトレンズが合わないのか頭痛に見舞われて
これにもほとほと嫌気が差す。





























































le 18 février
アトリ
マヒワは、サルモネラ菌に感染していたのだ。
やっぱり野鳥の大好きなウテが昨日、
NABU(ドイツ野鳥保護団体)の報告書で読んだと言って教えてくれた。
早速NABUの公式サイトを訪問すると、すぐに記事が見つかった。
今年は雪の多いせいか、ドイツ各地にマヒワの大群が渡ってきていること。
そしてフィーダーのある個人の庭で、その子達が大量死していること。
どういうわけか、マヒワはサルモネラ菌に感染しやすいのだそうだ。
その理由は専門家にもわかっていないという。
留鳥が感染死するケースは稀なので、長い渡りで体力を落としているせいではないかなどと
書いてあったけれども、同じ渡り鳥のアトリが感染している様子はないから、
あまり説得力はない。
とにかく餌場、水場を清潔に保ち、こぼれた餌や糞を確実に除去するようにと言うアドバイスの通り
気温が上がったのを幸いに、庭の大掃除に取り掛かった。





























































le 17 février
死ぬ日の朝の病気のマヒワ
24時間自動心電図測定器をツィーガー先生の所に返却しに行って
夜中 ventrikuläre Tachykardie=「心室頻拍」の起こっていたことが判明した。
これは突然死を招く kammerflimmern=「心室細動」(こんな語彙ばかり覚えて、イヤになる…)に発展するケースもあるから
見過ごし難いと言う。
しかしまったく無害である可能性もあると言う。
原因は様々に考えられ、特定しがたい。
ここ数年間常用していた βブロッカー"Sotalex"を
今年認可されたばかりの新薬に変えたことも一因の可能性があるから、
とりあえず新薬の服用を中止し、別のベータ・ブロッカーを処方してもらってきたそうだ。
そもそもβブロッカーは、不整脈を防止するために服用しているのに、
直接な危険はない不整脈(正確には「心房細動」Vorhofflimmern )を防止しようとして、心室の方に細動を誘発してしまったのでは、
本末転倒である。

なんだか話を聞いていると、生命そのものの説明を受けている気がしてきた。
根本の究明は出来ていないのだが、明日にも支障が起こって死にいたるかもしれないし、
まったく無事に長生き出来るかもしれない。

ヴォルフガングが心臓科を紹介してくれた時に、笑い話を添えてくれた。

「心臓科医と闘犬の違いを知ってる?
闘犬は食らいついても、いつかは放してくれることだよ。」

もしかしたら多くの人間は、何かしら心臓に欠陥を持ったまま
自覚症状なく生活しているのかもしれない。
なにかの拍子に心臓科医に診察してもらって、それが判明し、
「無事に済むかもしれないけれども、万一のことを考えて」
延々検査を続けることになるのだろうか???
不整脈自体も、実際には持っている人は多いのだが、自覚症状の出ないひともあるそうで、
わたしの祖母もそうだった。
家人のお母さんも、子供達と口論の起こるたび

「もうやめて、心臓が変だわ!」

と胸を押さえてソファに倒れ込むのが常だったと言うけれども
祖母も家人のお母さんも90まで生きた。

そんな風に解釈してみようとしても、夜が更けて枕に頭を置くと
やっぱりむくむくと不安がもたがって、じっと家人の寝息に耳をそばだててしまう。
一晩中眠りが浅かった。

家人は今日はまたトリオのプローベ。
午前中やや晴れているので、わたしもピアノの稽古を済ませてから
例によって電車に乗って、シュトゥットガルトに出た。
あまりにきれいな水色のブラウスに見とれて、ほとんど着たことのない色なのに、
買ってみたくなる。
試着している途中、彼から電話がかかってくる。
ブラウスと、このところクセになっているベルリーナーとを買って
前回と同じ公園で彼の迎えを待つ。
公園は今日は、寒々と残雪に埋もれていた。

帰宅して、居間でクマ達とベルリーナーを食べている時、
雪の真ん中にうずくまっていた病体のマヒワが
目前で、死んだ。
一回、二回、痙攣をして
最後に一度翼をうんと天に向けて伸ばしたきり
動かなくなった。
ボロボロになった身体から、スーッと抜けてゆく魂の筋が
見える気がした。

亡骸を片づけるために外に出ると
空がポロポロ
雨滴をこぼした。





























































le 16 février
ズアオアトリ
昨年3月にケルン市で突然建物が崩壊する事件が起き、
調べていったところ、どうやら建物の下を通過する地下鉄の建設資材に
粗悪品の使用されていたことが判明してきた。
なんと作業員または建設会社が本来の資材を売り飛ばし、
代替品を使っていたようだと言うのだ。

そんなニュースを聞いて、この一週間頭を去らない、暗いイヤな気持ちがますます強くなる。
毎年クリスマスとお誕生日に決まって手作りのビーズ細工を送ってくださる日本の友人があり、
今年も「発送しました」というメールをいただいてから、まもなくバースデーカードが到着した。
しかし同時に発送して下さったというビーズの入った小型小包が、待てど暮らせど、届かないのだ。
実は、カードとビーズと別便で送ってくださっているのも、
すでに数年前一度、封筒が配達の途中で開けられビーズだけ抜き取られた経験があるから…。
以来友人はしっかりしたクッション入り封筒を厳重にガムテープで閉じて、送ってくださる。
今回はその封筒ごと行方不明になってしまったのだ。

こうしたモラルの低下には腹が立つばかりでない、
軽犯罪なだけに郵便局の対応も鈍く、犯人の罰せられる可能性のほとんどないことが、やり切れない。

試しにドイツ語の Google で「 Deutsche Post Diebstahl (ドイチェ・ポスト 盗難)」と打って検索してみる。
すると、出るわ、出るわ!
アクセサリーの他、USBスティックやSDカード、特に小型のものが抜き取られるケースが多いらしい。
小さいだけに、つい手が出やすいのだろう。
しかし、三箇所から別々に発送されたバースデープレゼントがどれ一つ届かなかったという人もいる。
そういえば二年前だかのクリスマスシーズンには、配達員が郵便物を開けて中のシュトレンを食べてしまった事件もあった。
そのままにしておけば良かったのに、無駄知恵を働かせてシュトレンの箱に別の郵便物を入れてごまかしたのが、
銀行から郵送される途中の顧客データCDという内容だったものだから
「ゲシュトーレナ・シュトレン gestohlener Stollen 」という言葉遊びのタイトルでもって
一大ニュースに発達したのだった。
(これにちなんで、焼き菓子の Stollen は、あくまで「シュトレン」という読みが正しく、
日本でよく見られる「シュトーレン」という読みは ”盗む”という意味に近くなってしまうことを、日記にも書き留めた記憶がある)。
もしもあの時シュトレンが消えただけだったなら、発送者は泣き寝入りしていたのではないか。
と言うのも、郵便局は、苦情を呈しても、通り一遍の返答をよこすだけで、
本腰を入れて調査してくれることは、まずないようだ。
わたしも今回メールでドイチェ・ポストにクレームを送ってみたけれども

「はなはだ残念なことです。
ちなみに追跡調査は発送国で申請することになっています。」

と言う形式的な返答が来ただけ。
それで皆、インターネット上で不満を爆発させているわけだ。

ついでなので日本語 Google でも「郵便 盗難」と検索してみた。
ざっと見た限り、配達途中で郵便物の紛失したというケースには、一件もヒットしない!

最後にフランス語も検索してみた。
こちらはドイツ同様かなり頻発しているようで、
フォーラムで議論の盛りあがっているところもあるのだが、
そのうちのコメントのひとつにこんなものがあった。

「俺もスーパーなんかではちょくちょく万引きするけど
個人の物を盗むのは最低だと思うな!」

うーん、フランス人…。
しかし確かに企業や組織から物を盗むのに対して
個人から盗むのは、ひとまわりタチが悪いと言うのには同感である。





























































le 15 février
雪
家人が8時20分にツィーガー先生のところに診察に行くので
七時に目覚ましを鳴らした。
最近では、七時でも朝の気配がするようになってきて嬉しい。
早起きのクロウタドリ達は、もう庭で待っている。
この冬初めて、雪掻きをした。

弟が姪を連れていちご狩りに行ったと書き送ってくるので
この季節にいちごとはと驚くとケロリと
「いちごの旬は冬だよ」
などと答える。
真冬の枯れ野に苺が真っ赤な実をたわわにつけている光景などとても想像し難く、
いくらなんでもそんなはずはないだろうとインターネットで調べると
日本では品種改良されたハウス物が主流のため
12月から4月にかけての出荷量が最も多いらしい。

「しかし本来のいちごの旬は晩春から初夏にかけてです」

と断ってあった。
この露地植のいちごは、ハウス物に比べて小粒で酸味が強いため日本では人気がないことまで指摘してあるのを見て、驚き呆れる。
わたしはどうしたって、こうした日本人の感覚には付いてゆけない。
日本のスーパーに出回る野菜や果物が、つやつやまるまる作り物のような色形をして
水っぽく、味が薄いわけだ。
ヨーロッパでいちごと言えば、ほぼ露地植が主流、まさに5月の風物詩。
市場にあの可愛らしい赤い姿が並びはじめると、いよいよ春深しと喜び、
夏の訪れとともにだんだんとその姿の消えてゆくさまに、一抹の寂しさを感じる。
あの寂しさこそ、人生の味わいではないのかしら?
それだから、ネットで真冬に日本のいちごのケーキの写真を見かけるたび、なんだかギョッとするのだった。
そもそもヨーロッパには、クリスマスにデコレーションケーキを食べる習慣などなく、
「クリスマスケーキ」という言葉も、フランス語やドイツ語には、特に定着しては存在しない。
あれは、日本のどこぞの業者の軽薄な発明ではないかと私は思っているのだが、
そんな軽薄がまたたくまに普及し、いちごの旬までを強引に変えてしまうのが、日本である。
それでいて「細やかな俳諧の季節感こそ日本特有の文化、西洋人には理解できまい」と吹聴して憚らない。

そんなことを弟に送ると、
「へえ、そうなんだ、知らなくって恥ずかしいよ」なんて素直な返事が返ってきて、
姪にもよく説明しなければとあった。
そして、業者から、いちごのへたがつく部分が白いと売れないので、
その品種改良にいかに苦労したかという話を聞かされたことも、付け添えてあった。
また本来春の作物を無理に冬に栽培しているため、
農薬使用量やハウスを温めるための光熱量も極度に多いそうである。





























































le 14 février
花束
胃痛がぶり返して、とても朝食は食べられない。
台所でローイボス茶とヨーグルトを用意していたら

「聖ヴァレンタインおめでとう!」

いつの間に入手しておいてくれたのか、腕いっぱいのチューリップを彼がプレゼントしてくれた。

一日中古い写真を整理する。
病気の一番ひどかった時に、二人並んで古いアルバムを眺めながら、
写真はやっぱり手に取れるのが一番だとしみじみ感じたから。
とは言え、現像された写真にはずいぶんと無駄なショットも多く、
デジタル化は、明らかに資源の無駄遣いを防止していると思う。
最近テレヴィで、音楽はなるべくハードディスクに保存し、
無駄なプラスチック(CD)を使うことを避けましょうと宣伝しいるのを聞き、
なるほどとも思った。

すでに現像してしまったものはアルバムに貼ることにして、
フォルダに埋もれているデータは、フォトブックにまとめることにする。
私個人にとっては、初めてデジタルカメラを前の夫に買ってもらった2003年以来
だんだんとカメラの質をグレードアップしていったその歴史と
だんだんと新しい生活の諸問題の解決されていった過程とが見事に重なるから、
過ぎ去っていった時間に、技術の変化という目に見える質感も加わって
感慨もひとしおである。
家人はフィルムカメラの時代から写真が好きで、出会った頃からずいぶんと撮ってくれた。
どういうわけか、その頃のフィルムカメラの写真は、色調が寒色に偏り気味で、
全体に暗く寂しい。
そんな陰鬱な画像に、当時の心細く、生きた心地のしない、
人間というよりは虫ケラのような気分で、濡れた土を首筋にひんやり感じながら
ソッと世の中をうかがっていた心持ちが投影され、蘇る。

夜また、雪が降りはじめた
明日月曜からは、私達が雪掻き当番の週である。





























































le 13 février
前菜
約二年ぶりにノルトハイムにヴォルフガングとアニータを訪ねる。
アナスタジアはどこに行ったのか不在。
ホッとする。
玄関先には、クリスマスにアニータがもらったというヤマハのアップライトピアノがピカピカしていて、
ヴォルフガングがアニータに対して細やかに気を遣っているのはよくわかるけれど…。
今年ふたたび、アナスタジアも含めて三人で、カザフスタン旅行を計画しているそう。

「私は別に行きたくないのだけど…」

というアニータの弱々しい口調には、諦めの影。

「通訳なしではどうせ行けないんでしょ?」

通訳とはロシア語が母語のアナスタジアのことに他ならない。

金融危機による打撃もふたりにとって甚大だそうで、
どこか息苦しさが拭いきれないものの、
ひさびさに会えたのは嬉しい。
前菜に平茸のバター炒め、つづいて丸ごとキャベツのオレンジソース、
そしてメインには「エトシャ煮込み」なるものを供してくれた。
エトシャ国立公園は、ナミビアで一緒に訪ねてサファリをしたところ。
その思い出に、ダチョウの肉をシチューにしてくれたのだ。
ひとつひとつ、気持ちがたっぷり込めらていて、
私は病み上がりの胃に、つい食べ過ぎてしまった。
頭痛と胃痛とで半死半生だけれども、
半死半生でも辞去する段となっては名残惜しく、
すぐにでもまた会いたいと思う。

また四人で旅出来れば良いのだけれど…。

「パタゴニアなんてどう?」

と聞くと、二人とも「いいねえ」とは言ってくれた。

エンテルヒェンもいつもたいへんに可愛がってもらえるので、
ヴォルフガングとアニータが大好きなのだ。





























































le 12 février
アトリ
雪は降りやまず、アトリは凄いことになっている。
しばらく前に見かけた雑木林の奥の大河のようなあの流れが
そのまままさにわたしの庭目指して、次から次へと飛んでくるではないか。
餌台の足下に群れたものだけでも、数えてみると軽く90を越える。
その他餌台の中、周囲の木々の枝という枝、
どこに目を遣っても、ちいさなオレンジ色と白色のお腹が鈴なりになっている。
数百羽はいるだろう。
その一羽一羽が、しっかりと愛らしい顔をしている。

アトリの写真





























































le 11 février
注射
マイナス4度。
雪は一晩中降りつづけ、今も降っている。
回り灯籠のようにくるくる舞う雪片に
どんどん数を増すアトリの影がまじって、
まさに幻影のような不思議な光景をつくりだす。

予定通り、彼のお腹に注射を打った。
鶏をさばく時のように、頭を空っぽにして
つまんだ肉だけに集中するようにした。
ボルネオ旅行が再び現実的となってきて、ふと気づいた。
蛭に咬まれたらどうするんだろう!?
彼の血液は凝固能力を失っているのだ!

わたしの方は、すぐに偏頭痛がぶり返す。
これは生理のせいらしい。
しばらく服用を中止していたため抗体が切れたのか、
ドロルミンの再び効くようになったのがありがたい。

アルコールは、まだ飲めない。





























































le 10 février
待雪草
夜中、静けさが語りかけてくるように
雪が降った。
思いがけない白く柔らかい世界に驚きながら
しかし静寂の言葉を解しかね、
窓の前でただ首をひねる。
マイナス3.5度。

9時15分にツィーガー先生のところに予約が入っている。
今日は24時間自動血圧測定器を取りつけるそうだ。
ツィーガー先生の診療室は、行きつけのオーガニック店と同じモール内にあるので
わたしも車に同乗させてもらって買い出しをすることにした。
外に出ると、血の気がひいてふらふらする。
とても雪道を歩いてモールまではたどりつかなかったと思う。
牛乳やりんご、生パスタ、ディンケル小麦のコーンフレークなど買って
診療室に戻ると、ちょうど彼が受付の女性と話しているところだった。

「もう診察は終わったの?」

と聞くと「まだだけど、いったん薬局に行かなければいけないんだよ」

それから受付の女性を見て

「その注射を買ってくればいいんですね?
あなたが打ってくれるんですか?」

「いいえ。ご自分で打ってください。」

わたしはドイツ語を聞き間違えたかと目をパチクリさせた。
しかしどうしたって聞き違いではない。
彼も目をパチクリさせて

「自分で!? 冗談じゃありません…!」

パニックしてるではないか。
受付係(カトリーヌ・ドヌーヴをやや彷彿させるこのひとが、ツィーガー先生の奥さんだそうだ)は
落ち着き払って

「それならば、奥様にでも打ってもらえば」

大きな目を真っ直ぐわたしに向けた。
藪から棒にとんでもない話が降りかかってきた。
貧血気味でふらふらしているどころではない。

「打ち方はアシスタントがお教えます。簡単です。」

悪い夢だ。とてもタチの悪い夢だ。
不整脈が去らないので、血圧測定は延期して、
電気療法を試みるため正午に病院にアポイントを取ってもらったそうだ。
その下準備として、いよいよ Marcumar フェンプロクモンを使用しなければならないのだが、
これは毎日注射と錠剤とでもって投与するそう、
その注射を自分で打たねばならないというのだ。

処方箋を持ってオーガニック店に隣接する薬局に行くと、
靴箱みたいに大きなカートンいっぱいの注射を出してきて

「もうご自分で打たれた経験はありますか?」

ここでも落ち着き払って聞かれてしまった。
冗談じゃない。自分で自分に注射を打つなんて、ジャンキーかブラックジャックくらいのものかと思っていた。
とうとう家人のお腹に毎朝一本注射を打つ役を引き受けることになってしまって、
胃腸風邪どころではない。
しかも来月予定しているボルネオ旅行中も続行しなければいけない模様である。
いや、そもそも無事旅立つことが出来れば… の話なのだが。
想像していたよりもずっと若い(もしかしたらわたしよりも年下の)
ひょろりと痩せてすこし頭頂部の毛が薄くなりつつある、実に感じの良いツィーガー先生は

「どちらにお出かけですか?」

と聞き、マレーシアと答えると「大丈夫です」
すこし考えつつだった気もしなくはないけれども、受け合ってくれた。

注射の打ち方を習い、
病院に行く支度をするためにいったん帰宅する。
病院には一晩泊まらなければならないかもしれないというので、
わたしは帰り独りバスで家に戻らなければならないだろう。
その路線を調べねば。
彼には一晩ブルーマ君が付き添ってくれるかもしれない。
せっかく彼の大好きな生パスタを夕食に買ってきたのに…。
食料品を冷蔵庫にしまっていると

「Schatzi !」

また書斎からか細い悲鳴をあげる。
今度はなんだ!?
窓の外を見ているので、鳥に何か異常でも起こったのかと心臓の休む間がない。
鳥達には、なんの異常もなかった。
ただ、注射やら入院やらの騒動にあまりに深い衝撃を受けたのか、
脈が正常に戻っていたのだった。

庭には、待雪草の蕾が出ていた。





























































le 9 février

真夜中にふと目覚めると、「治らないよ…」と彼が独りで泣いていた。
わたしは、フォーミグランを飲んで夜中のうち去っていた偏頭痛が
朝再発して、ひきづつき二人して病臥。
狭いソファに並んで寝ていると、沈没しようとしている船の
船室に横たわっているようなさみしさ。

Das war's.

そんな言葉が浮かんでくる。
そんなものかもしれない。人の一生とは。
毎日毎日喜んだり悲しんだり腹をたてたり、無邪気な感情生活を繰り返し
合わさって真っ赤な芍薬のように膨らんだものを
腕いっぱいに抱える「人生」。
その大輪にほれぼれ顔を近づけ、指を触れてみると
目に見えないうちにすでに花は死んでいて
惰性ばかりで萼におさまっていた花びらが
ワッと床に散りこぼれる…。

Das war's.

あとは、一枚一枚その花びらをていねいに集めるように
日々を拾ってゆかねばならない。
不整脈が戻らなくなっても、ほんとうのところ命に別状はないという。
ただ血栓が出来やすくなるので、Marcumar (フェンプロクモン)を常時投薬し、
血液の凝固作用を低下させなければならない。
体力は通常の30〜40%ほどに落ちる。

このまま脈が乱れたままだったら、そんな生活も覚悟しなければならないのだ。

ふと窓の外に目を遣って教会の塔の姿が、未だ私達の隣に存在することに驚く。
街の、なんと遠く感じられることだろう。
まるで別の世界を垣間見るように
よそよそしい姿である。

そうやって少しずつ、ひとはこの世から身を剥がしてゆくものなのかもしれない。
社会から、街から、そして目前の庭からも身体が分離し
エーテルのような光ばかりにつつまれて
横臥する。
病んだ、すでに力のほとんど入らない殻が
最後の世界である。

午後三時。
とうとう不整脈が発生してから24時間を超えたと彼が言う。
わたしは偏頭痛で、その意味が即座にわからなかった。
24時間を超えると、自然に脈の戻るケースは稀なのだそうだ。





























































le 8 février
雪だるまの残骸
終日病臥。
家人ばかりは、室内楽会の成功にすっかり気を良くして
台所を掃除してくれたり、洗濯をしてくれたり、意気揚々と楽しそう…
と心強く思っていたら、
階下の室内トレーニング用自転車でトレーニング中、突然悲鳴をあげながら駆け上がってきた。
無理をしすぎて、不整脈を発生させたのだ。
良い機会だから、ヴォルフガングの兼ねてから奨めてくれている
エスリンゲン開業の心臓専門医に看てもらうことにする。
わたしの方は偏頭痛も併発して
彼は寝ている間に出掛け、寝ている間に戻ってきた。
「どうだった?」
と聞くと、超音波検査で大動脈の一部が異常膨張していることが発見されたと言う。
動脈瘤という域ではまだないけれども、今後注意が必要とのこと。
不整脈の方は未だ去らず。
血圧の不安定なことが原因かもしれないから、明日から精密検査を行うそうだ。

夜は気を紛らわせるため
ずっと以前に注文したきり放ったままだったヴィム・ヴェンダーズ Tokyo-Ga
ふたり並んで見る。
小津映画の世界を求めて、1983年東京を訪ねたヴェンダーズの「映像日記」であると
本人は説明する。
昔東京の映画館で当時の夫と見てたいへんに面白かったことを記憶している。
しかし、ドイツ語ナレーションであることを意識していなかったのはどうしたものか。

改めてドイツ語を聞きながら観賞し、
東京タワーの上でヴェルナー・ヘルツォーグが
眼下に広がる醜悪な姿を指して

beleidigte Landschaft (侮辱された風景)

と形容したのが、たいへんこころに残った。





























































le 7 février
室内楽会
曇天。
寝不足で頭もどんより。
室内楽会に持って行く約束をした巻き寿司をつくり
出発前に一時間ほど休もうと思ったのに、
横になってもちっとも眠れない。
こんなことは珍しい。

寝不足のまま、チェリストのウテの家に出掛ける。
彼のヴァイオリンが、高域の和音でやや響きが固く、指の滑らかさに欠けることを除いては、
いつの間にこんなに上手になったのかと感心し、
ハイドン、ブラームスの三重奏がいずれも無事終了すると
私まで生意気にもホッとしたのか、持ち寄りの夕食の席についても
体が弛緩するばかりで、食欲がわかない。

隣席の元裁判官(この人はヴァイオリンの腕もたいそう良いそうなのだけれど)が

「すでに飽きるくらいされている質問で失礼かもしれませんが…」

と丁寧な前置きをしてから

「何年ドイツにお住まいですか? ホームシックにはなりませんか?」

と尋ねる。
ホームシックと言う言葉を聞くと、私はむきになって否定する。
何故ここまでむきになるのか、可笑しくなるくらいで
ふと冷静に考え、答えようとしたのだけれども

「ホームシックには、まずなりません」

と断定した後、突然猛烈な腹痛に襲われてトイレに駆けこまねばならず
それっきり、考える余裕も、詳しく説明する機会も逸してしまった。
その晩はそのまま、激しい嘔吐と下痢、それに寒気、関節の痛みに苦しみ、
ソファでしばらく休ませてもらってから、早めに辞去することになったのだった。
感冒性胃腸炎にやられたらしい。

裁判官氏の気遣ってくれたほどには、今まで、私はドイツでこの質問に遭遇してきたことのなかったことにも気付く。
それは、こちらで会った人々(そのほとんどが音楽家なのだが)が、
家人のアジア系の妻に幾人もつき合ってきた結果、
その一人一人の身上に興味を持つことに飽きてしまったからではないかと、私は想像する。
あるいはあまりにくるくる妻の入れ替わって来たことに辟易し
初めて私に接しても
まるで妻など変わらなかったかのごとく、
まるで私が、はじめから家人に連れ添ってきたかのごとく
扱われてきたような気がする。
そんな反応のために、ここに来た初めの数年、
まるで私個人に、他のアジア系妻たちとはまた異なる、私個人の歴史や嗜好のあることなど否定されたような気がして
まるで自分が「妻」という者のパロディでしかないように思われて、萎縮した。

そんな時代をふと思い返して、今夜の裁判官氏の気遣いが、ひどく心に染みた。
そしてその気遣いに見合ったもっと丁寧な返答のできなかったことが、たいそう悔やまれた。

私は「今現在の日本」に対して郷愁を感じることはまずない。
むしろ故郷から遠く離れ、その狂騒を直接目にせず済んでいることに感謝する毎日である。
私の憧憬の念は、古い作家達、
荷風や漱石が愛惜をこめて描いた古い東京の風景へと飛んでゆく。
柳橋の袂には柳の老木が生え、武蔵野には見渡す限り「卑しいと言って歌にも詠まれない」と荷風の指摘した草木の生い茂っていた時代…。
その頃からすでに日本人は、文明化西洋化以外なにごとも目に入らなくなっていて
持ち前の激しい競争意識を全開に世界の「一等国」の仲間入りを果たそうと、
躍起になって木を切り、古い家屋を潰し
見るも無残な現在の醜悪を蔓延させはじめていた。

現在の日本の風景は、そんな時代から延々続いてきた軽薄をのみ体現しているにも関わらず
そこに住む者達は、その破廉恥をちっとも苦にしている様子はない。
荷風のような精神も、風景と共に淘汰されていってしまった。
そうして現代日本人は、恥もせず「日本人のわびさびを好むこころは、西洋人には理解できまい」
吹聴し、そういう人に限ってわびさびの聞いて呆れるようなドッ派手な建物を好み、
我一番と流行モノに飛びつき、
謙虚を掲げながら、得意の御託を垂れ流せる機会は決して逃さない。

私は現在の日本にいては、こころの休まることがない。

異国の暗いランプの下で書物を紐解き、ただ想像のなかで
滅びていった風景を訪ねるのが、好きである。





























































le 6 février
マヒワ
曇天。
しばらく前に、羽毛をぷくんと膨らませ、
幼鳥のように動きのぎこちない、表情の頼りないマヒワが一羽いて
彼と「可哀想に…」と呟いた。
病気なのだ。
あの状態になると、なかなか助からない。

ある朝、庭に通じるガラス戸を開いた時
パタパタパタと
その子が足下から慌てて雑木林に向かって飛び去って行った。
何故、
病気のマヒワは、家の壁際を好むのだろう?
この子も、壁際のガラクタの隅に隠れて一夜を明かしたらしかった。
それで私が出てきたので驚いて逃げたのだ。
体の重たい、翼の付け根がカタカタ言いそうな飛び方で…。
人家には天敵もあまり近づかないから安心なのかしら?
それとも幾分か、気温が高く楽に思えるのかしら?

それからは毎朝庭に出るとき、今日こそあの子が死んでるんではないかと気に掛かった。
しかし姿はないので、森のなかで死んでいったのかなと思っていた。
今日ふと思うところがあって、
思い切って壁に立てかけたガラクタの板を除けてみると
ああ、やっぱり…。
板と壁との間の陰で
もう幾日も、死んでいたのだ。
小鳥は死ぬと
ギュッと閉じた目がいよいよ儚く、いよいよこころもとなく
ますます手の届かない
悲しすぎるほど愛くるしい表情をつくる。

*****

難聴の治療で副腎皮質ホルモンを服用している家人が
その副作用で不眠症気味である。
それにつき合ってというわけではないけれども、
午前四時近くまで、わたしまで眠れなかった。





























































le 5 février
ムール貝
ふたたび曇天。
春の気配は露と消え
予報によると来週はまた零下の日々に逆戻りするらしい。
三寒四温など、夢のまた夢。
三温十寒くらいにノックアウトされる感じ。

冬の味覚、ムール貝を買ってきた。
つけ合わせにはフリットの代わり、Bratkartoffel (ブラートカルトッフル)を自宅ではよくつくる。
これは日本のビヤホールなどで見かけるいわゆる「ジャーマンポテト」の原型ではないかと思う。
原語のブラートカルトッフルは、たんに「炒めた(ブラート)じゃがいも(カルトッフル)」という意味なのだけれども、
これこそまさに翻訳不可能な言葉の典型。
Bratkartoffel と言う響きにこめられたドイツ人の愛情、親しみ、ぬくもり、こだわりは
とてもとても「炒めたじゃがいも」という即物的な訳にも、
また筋違いな英語「ジャーマンポテト」なる名称にも、変換できない。
かつて三嶋由紀夫の小説を仏語訳で読んでいた時に、饅頭の訳が「米をついて作った菓子」だかになっているのに興醒めしたことがあった。
饅頭という言葉を、その喚起する白い丸いモチモチ感、
背景の和食文化まで含めて外国語訳することは
不可能に近い、
それと同様、Bratkartoffel の和訳をこころみても、歯ぎしりするのみ。

「翻訳された詩は、摘み取ってしまったすみれに似て、ただただ萎れてゆくばかり」
と言うゲーテの言葉を思い出す。

料理名だけでない。
実際にドイツの食堂で供される Bratkartoffel そのものもまた、
日本で言う炒めたじゃがいもとはまるで別物。
高級な複雑な星付きレストラン料理なんてすべて忘れてしまえるような伝統芸術的美味しさを誇るのだ。
素朴な木組み作りの美しい田舎の食堂に入り、
Bratkartoffel を注文するときの幸福感期待感と言ったらない。
この言葉は、そんな高揚力も持つのだ。

あの美味しさはじゃがいもの品種に負うところも大きいようだけれども、
いったいどんな秘訣が料理法に隠されているのか…。
常々疑問に思っていたのだが、
つい最近たまたまこの作り方をめぐって家人と論争になった。
わたしがうっかり「じゃがいもを茹でて…」と口走ってしまったのを、
彼は聞き逃さなかったのだ。

「え? 炒める前に茹でてるの???
それで君の Bratkartoffel は柔らかすぎるんだ…」

あの独特のとろみは、じゃがいもを生のままフライパンに放り込むことから得られるのは知っていたけれど、
そうすると均一に火を通すのに時間が掛かる、それに油も多く使うので、いつ頃からか下茹でをしてごまかすようになっていたのだ。
しどろもどろにそうした理由を説明して、
それから試しにインターネットで Bratkartoffel と検索してみると、
なんとなんとドイツ人の間でも「下茹でするのかしないのか」
世の中これ以上重大な命題はないというかのような壮大なる論争に発展しているのを発見して大笑いした。

それだけでない。
下茹で派のなかでも Salzkartoffel (塩ゆでじゃがいも)からつくるのか、Pelkartoffel(皮付きのままゆでたじゃがいも) からつくるのか…。
「どの作り方でも美味しいし、好みの問題」と言う仲裁派のコメントも時折入るのに
そんな悠長な妥協になど誰も聞く耳持たない。
また「星付きシェフである某氏によると」と権威に頼ろうとするコメントもたまに見られるのだが、
先祖代々の味を前にしたら、たかだかここ数年流行の権威など目にくれる者もない、
そうした堂々たる個人の誇りは、さすがドイツ人である。
下茹でした場合は Brat- ではなく、Röstkartoffel と呼ぶと言う興味深い話も見られる。
Braten は、焼く・炒める・煮るなどすべて火を通す行為に使う。
Rösten は、炒めると言う意味専用らしい。

ところで男女間にも Bratkartoffelverhältnis (炒めたじゃがいもの関係)なる表現があるそうだ。
これは籍を入れないカップルを指すらしい。
この表現が発生したのは、ウィキペディアによれば、第一次世界大戦の頃。
戦争に出た男が、三度の食事をつくってくれる女性と、結婚の前提なしに関係を持つことが多かったことに由来すると言う。
すると Bratkartoffel というのは、まさにもっとも「ごはん」という響きに近い、
家庭の食事、空腹を第一に満たしてくれる料理のイメージをもつ言葉なのかもしれない。
さらに第二次世界大戦後は、年金を受給する権利を失いたくないために、
新たな恋人と婚姻関係を結ばない戦争未亡人達にも用いられたそうだ。





























































le 4 février
私の好きな色
晴れて、すっかり春の陽気である。
家人は午前中に耳鼻科にゆき、それから日曜日の室内楽会のための最後のプローベに出掛ける。
わたしはひさびさに列車に乗って、シュトゥットガルトに遊びに行く。

二年ほど前から巷では、ショッキングピンクやパープルが流行しているけれども
季節ごとにその色調にすこしずつ差があり
この春は、いかにもヨーロッパらしい、うんと渋く淡い
ルネッサンス絵画の薔薇の花を思わせるオールドローズやリラが主流らしい。
わたしはこの系統の色を見ると、その場で昇天してしまいそうになる。
春にもならないのにすでに春物のブラウス一枚、長袖Tシャツ二枚を買い込んだ。
Tシャツのうち一枚は、母か義妹にプレゼントするつもり。
同じ色を好むひとというものは、特別気に掛かるものなのだ。
家でじっとしていれば財布にふりかかる災難も避けられるのだろうに、
ますます浮き浮きと、花でも摘みに行くように、もっと大好きな色のブーケが出来ないものか、
街に出掛けてしまう。
今日もまた無駄遣いをしてしまうだろうと覚悟していたのだけれども、
似合わない眼鏡が良かった。
何を着ても、この眼鏡ではどうしようもない。
まるでスネオのママだ。
やたらに試着ばかりしたけれども、結局買ったのは、
お腹が空いたから、ベルリーナーという揚げ菓子三個セットで2ユーロ99セントというのだけ。
これはカルナヴァルの季節に好んで食べられるので
今日の日差しに唯一溶けこめるもののように思われた。
三つのベルリーナをたいせつに抱えて誰もいない公園のベンチに腰掛け、
夫の迎えに来てくれるのを待つ。
ベンチに座っていても、ちょうど寒くないくらいの
気温十度。
やがて春に満開になるだろうリラの花を
すでに少し孕んでいるかのような淡い光に
似合わない眼鏡のレンズが暗く染まる。
ガッカリしたような、しょんぼりなような、だけれどどこか
悪くない気分なのは、公園のベンチにぼんやり座るという行為を
もうずいぶんと行ったことのなかったことに気づいたからかしら?
何者かの手のひらのように、行き場のない「わたし」を支えてくる
公園のベンチ。
それが大好きな色に劣らない得も言われぬ淡い光につつまれている…。

彼が到着したら、うんと慰めてもらおう…。
ベアヒェンはきっと、ベルリーナーを喜ぶだろうな。

私のここに越してきた頃、エスリンゲンからシュトゥットガルトまでの汽車賃は2ユーロ45セントだった。
今では3ユーロ30セント。
これでは片道払うのが精一杯なので
家人のシュトゥットガルトに出ている時を利用するようにしている。





























































le 3 février
雪だるまとクロウタドリ
気温八度。
しょぼしょぼと雨。
夜間は氷点下になるので、昼間溶けた雪水が凍って
道がつるつる滑る。

ようやく眼鏡が出来上がったと言う電話が来たので
さっそく彼に付き添ってもらって受け取りに行く。
道々「本当にあのフレームは似合うかしら」とデザインのことばかり気に掛けていると
「見えることが一番大切でしょ?」と分別臭いことを言われ
「まるでパパみたいな言い方!」
とふくれてみせる。
わたしの両親は、何事に置いても奢侈を嫌い
日除け帽は日差しを遮れば良いもの、
コートは防寒の役を果たせば良いものと言って
それ以外のふわふわひらひらした、金魚の尾鰭みたいな部分に金を掛けることを卑しむ。
私はある時期までは素直な子供らしく同調して、質実剛健を通していたけれども
二十歳頃からだろうか、遅れた分だけ徹底的な反抗がはじまって
物を買うとなれば
一番に無駄の多そうなデザインを買うことが悦楽となった。

今ではそのどちらでもないけれども

「眼鏡はよく見えることが一番でしょ?」

と言われると、いかにもそんな親に諭されるつまらなさを思い出すではないか。
ところが、出来上がった眼鏡を鼻に乗せた時
あまりによく見えることに、まず感服してしまった。
まるで裸眼の視力が上がったかのよう。
レンズを通して見ているという事実をほとんど忘れさせてしまう、
軽い、透明なツァイスのレンズ。
そのよく見える目で鏡を覗き込んでみると
うんと考えて選んだはずのフレームの方は、
ちっとも似合っていないのに、ガッカリした。
しかしこれだけ見えれば、フレームなど…!

*****

真新しいピンク色の似合わない眼鏡を鼻に乗せ
雨に濡れる石畳の灰色の
ますます明確に灰色に見える中
弔辞用カードを買いに行った。
一枚一枚カードを手にとって
印刷された様々な祈りの言葉を読む。
だんだんにそれが
濡れた石畳と同じ
瞑想に目を閉じる光を静かに放ちはじめる。
ふだん、こうした言葉は氾濫するその他の印刷物に混じって
無意味にもまた
空々しいものにも感じられるのは、
現代という時代が、出来る限り視界から死を追放し
あたかもそのようなものなど存在しないようひとを惑わし続けるせい。
生こそが絶対的善きものであり、死は忌むべき敗残。
生きることは、常に未来に向かって前進することであり
その最後には実は死の待っていることは
ひたすら隠蔽される。
現代文明は死の匂いのするものから目を背け、
クリーンでクールで未来的な都市を造り出す。
そんな街では、祈りの言葉には
老人の戯言程度の価値しか、認められない

しかしいかにそれが隠蔽されようと
死は揺るぎない。
愛する者の死に直面した孤独のなかではじめてひとは
洞穴のなかに生える燐光性の地衣類のように
祈りの、微かな光を発しはじめることに気づく。

「なぜならひとは与えることによって、与えられ、
自らを忘れることにより、自らを見い出し
赦すことによって、赦され、
死を通して、永遠の生命に生まれ変わるからなのです。」
(アッシジの聖フランチェスコ)





























































le 2 février
古い城塞
夜の間にまた3cmほど雪が積もったけれども、
それはこの冬の雪景色が、去り際最後にもう一度だけ
汚れない初々しかった頃の姿を見せてくれようとしたみたいで、
日中の気温5度に
瞬く間に溶けて行った。
ひさしぶりの緑が、目に瑞々しい。
今日のような天候をドイツ語で、Tauwetter (タウヴェッター)と呼ぶ。
雪解け日和とでも言ったところだろうか。
辞書には「雪解けの陽気」とある。
しかし実際のドイツでは、気温は高くても「日和」や「陽気」と言う日本語の連想させるポカポカの日差しは
伴わないことの方が多い。
話し言葉では Schmuddelwetter (シュムッデルヴェッター)とも言う。「どろどろ天気」。
それはそれで、独特の詩情をもつ。

即座には該当する日本語の思い当たらない雪に関する語彙がもうひとつドイツ語にあることに、最近気づいた。
Schneeschauer(シュネーシャウワー)。
にわか雨ならぬ、にわか雪。
辞書には「短時間に激しく降る雪」と現象の解説が書かれているだけ。
そうした現象を表す日本語はどこかの地方には探せばあるのかもしれないけれども、
わたしには俄には思いつかない。
そしてまたいつものテーマに帰着するのだ。
(まったくわたしは執念深い人間である。)
土地や気候によって、雪ひとつ取りあげても、種々多様な表情を見せるわけで
その土地で見られる現象によって、生まれる表現も異なる。
だから雪国の多い日本に意外に訳語のみつからない雪関係の語彙が
ドイツにあったりするのだ。
自然も、また自然とともに生きてきた人間の言葉も、一筋縄ではいかないし、
「雪国/非雪国」のような単純な二項対立でも片づけられない。

寺田寅彦のような知性をもってしても

「たとえばドイツやイギリスにはほんとうの「夏」が欠如している。
そうしてモンスーンのないかの地にはほんとうの「春風」「秋風」がなく、
またかの地には「野分」がなく「五月雨」がなく「しぐれ」がなく、「柿紅葉」がなく
「霜柱」もない。」
(寺田寅彦『連句雑俎』より)

などと断言し、
かくのごとく風景の単調なヨーロッパ、アメリカ、東南アジアに比べて
日本は、自然のあらゆる多様な現象を有する世界にも希有な国である などと言う稚拙な国粋主義に陥るのである。

寺田寅彦のこの結論は、実際に彼が二年間ドイツに留学しヨーロッパ各地を見聞した経験に基づいて引き出されたものだけれども、
最近わたし自身の古い日記を整理していて可笑しくなったのは、
人間というものは、見知らぬ土地に身を移すことになったとき、初めはとかく
「自分の慣れた土地にはあって、異国にはないもの」を数え上げたがる傾向をみせるものらしいなんて発見をしたから。
ドイツに越してきたはじめの二、三年
わたしは「フランスにあってドイツにないもの」ばかり盛んに懐かしく思い、
日記にもじくじくと、そんな焦燥がにじみ出る。
自分の見知ったもの、慣れたもの、言葉を聞けばすぐにその質感を呼び起こせるものの積み重ねこそが
人格というものの大部分を支えているのだ。
異国に移住することは、その人格を一から立て直すこと。
はじめは、いい歳をしてまるで赤ん坊に返ってしまったような情けない気持ちでいっぱいになり

「私の知っている夏と言えば…!」
「私の知っているパンと言えば…!」

いちいち、ダダをこねるように訴えた。

もしも寺田寅彦の言うように、日本に世界中のあらゆる自然現象が凝縮されているのだとしたら
何故、フランスから故国に引き揚げてきた子供時代のわたしは
空を見あげて、わたしの知っている別の「空の色」をどこにも見いだせずに
せつない思いをしたのだろう?
それはゴッホの絵の平ったい濃密な空の色。
あれは広大な平地でのみ仰げるものである。
また、ロメールの映画に現れるような寂しい微笑を湛える水の色した夏は、
決して「ほんとうの夏」と寺田の断言する東京の夏には
求められない。
ベートーヴェンの交響曲にさぁーっと現れる
嵐の去った後の夏の夕暮れの、黄金色の光の崇高もまた
わたしは、東京では決して見いだすことは出来なかった。
ヨーロッパの夏独特の幻想的な長い黄昏をつくりだすには
東京は単純に、緯度が低すぎるのである。

ないものばかりを数え上げている間には、その土地の持っている独自の色は
無色にしか見えない。
今までの自分自身の尺度では感知できない、
今までの「色」という概念とはまた異なる、別の概念別の感性に属するものだから。
わたしが日本独特の色に魅力を感じるようになったのは
日本に恋人が出来てから、だったかな。

ないものに焦がれる郷愁の気持ちそのものは、美しいと思う。
しかしそれは、何か客観的判断をくだそうというときには
差し引いて思考しなければ、
ただのナショナリストのお国自慢に導くだけで終わってしまう。
しかもそれが昭和初期という、超国粋主義的軍事政権の台頭してくる時代に発せられたものとあれば、
なおのこと、危なっかしい。

*****

ここ数日鼻風邪をこじらせている彼が、
今朝は右耳に麻痺したような感覚があると言って耳鼻科に行くと
突発性難聴と診断された。
原因不明の病気だそうで、60%は発生から24時間以内に自然消滅するらしい。
おそらくこれは、
この週末音楽家仲間と室内楽コンサートを弾くストレスが
自律神経を乱しているせいだと、わたしは睨んでいる。
彼はトリオの第一ヴァイオリンを弾く。
簡単に言うとソロ。
40年間オーケストラのトゥッティスト(アンサンブルのみ弾く奏者)だった彼は
学生時代以来、人前で長々とソロを弾いたことはほとんどない。

ソリストとトゥッティストというのは、弾き方も基本的に違うのだそうだ。
そして、良いソリストが良いトゥッティストになれるとも限らないそう…。
さてトゥッティストとしては大変評価の高かった彼は
どういうソロを聞かせてくれるのかしら。





























































le 1er février
窓から立ち去るクリスマスツリー
曇り、気温四度。
夜中に頭がちくちくしはじめたので、
悪化しないうちにとフォーミグランを飲んだ。
なんの変哲もない月曜日、
クリスマスツリーを片づけた。

とてもかっこよかったドイツトウヒ、
バイバイ。